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2011年5月12日 (木)

GW 震災見舞い2 立ち尽くすだけ…

社長の伊豫田です。前回に引き続き私の妻の実家の釜石に帰省した時の事について書いていきます。

翌朝5月4日は比較的早く目が覚めました。散歩がてら約2キロ先の釜石駅まで散歩に行ってきました。中心部に流れる川の東側がとんでもない光景になっていると聞いていました。途中その川の橋を渡りましたが、たいして様子が変わりません。釜石駅は腰の高さまで海水が押し寄せてきたそうですが、三陸鉄道が不通になっている事以外は特に変わった様子はありませんでした。ただ駅前ロータリーの信号機が機能してなく、車の通行は不便そうでした。

釜石は過疎が進み学校や企業の跡地がたくさん点在しているため、あちこちで仮設住宅が建っていました。仮設住宅も特に規格があるわけでもなく、いろんな会社のプレハブ住宅がたっていました。建築的な視点からは興味深かったところです。

約1時間半の長いウォーキングを終え実家に戻り朝食を食べた後。義父の軽バンに乗り込みました。いよいよ出発です。

5分もしないうちに…

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単に釜石駅はガレキが片付けられていた後だったのでした。

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ガレキの山です。倒壊していない住宅やビルも海水が押し寄せほとんどが放置状態でした。ただ各地から警察や自衛隊の方がみえていて交通整理やガレキ撤去など一生懸命お仕事をされていました。

続いて釜石の漁港に向かいました。

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岸壁に巨大タンカーが乗り上げています。車はかろうじてその横を通り抜けました。

この写真を撮影しようとした時、なんとデジタルカメラがレンズエラーをおこし全く使用不能状態になりました。この惨劇にカメラが撮影をいやがったのでしょうかweep以後は携帯カメラ撮影の写真となります。

「釜石はまだましだべ!大槌さ行くか」と義父がいいました。町長が津波で亡くなられ街全体行政がほとんどが機能していないそうです。通常なら釜石の北隣で車で10分程度の場所です。

機能している信号機とそうでない信号機また片側通行箇所も結構多く大槌の中心部に着くまで結構時間がかかりました。

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何もありません… 立ち尽くすのみで声も涙もでませんでした。ただ立ち尽くすのみでした。

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上の写真の様子はテレビで御覧になった方も多い事でしょう。釜石湾も廻る遊覧船はまゆりが民宿の上に乗った状態です。危険との判断で先日取り壊しがおこなわれました。

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自衛隊の方や民間ボランティアの方もいっぱい見えました。

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津波の後火事があったそうです。まさに焼野原です。

あえて書きます。 大槌町は全滅です。

大槌に住んでいる人達はどんな想いなんでしょうか。たった1度の津波で街のすべてが無くなってしまいました。夢も希望も未来も無くなったとどこかの新聞の手記で読みましたが、まさにそう思わざる得ない惨状でした。

正直私は夢を見ている気分でした。現実だけれど、映画のセットをみているような気持ちでした。正直このブログを書いている今もまだこの地に行った事の実感がわきません。無傷の私たち、そして同じく釜石に住んでいながら無傷の両親共に幸せな事だと思うと同時に、安易な気持ちで頑張ろう。元気を出そう。と言ったりこのブログで書いていた事を私は猛烈に恥ました。とてもかける言葉なんてありません…

天国と地獄は本当に存在しました。

次回に続きます

http://www.iyoda.org

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